第3回賃金・価格・利潤 の学習
第3回賃金・価格・利潤 の学習
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二 (生産物・賃金・利潤)
ウエストン君が我々に聞かせてくれた講演は、ますか数言に似要約することができたので
ろう。
彼の推論のすべては、要するに以下のようなことであった。もし労働者階級が資本家階級に
貨幣賃金のかたちで四シリングのかわりに五シリングを払わせようとするなら、資本家は、商品のかたちで五ンリング相当分のかわりに四シリング相当分を返してよこすであろう。労働者階級は、賃上げ以前に四シリングで買ったものに五シリング払わなければならなくなるであろう。だが、なぜそんなことになるのか?なぜ資本家は、五シリングとひきかえに四シリン グ相当分しか返してよこさないのか? 賃金額が不変だからである、というわけだ。だが、なぜ賃金額は四シリング相当分の商品に決まっているのか? なぜ三シリングとか、二シリングとか、その他なんらかの額になっていないのか? もし賃金額の限界が、資本家の意志からも労
働者の意志からも独立した経済法則によって決まるのなら、ウェストン君がまず第一になすべきことは、この法則を述べてそれを証明することであった。つぎに彼は、それぞれ一定の時に実際に支払われる賃金額は、かならずその必然的貨金額と厳密に一致し、それから逸脱することはけっしてないことを、さらに証明すべきであった。一方、もし賃金額の一定の限界が資本家の、んなる意志に、あるいは彼の強欲の限界にもとづいているのなら、それは気まぐれな限界である。それには必然的なものはまったくない。それは資本家の意志によって変えることもできようし、したがって資本家の意志に反して変えることもできよう。
ウェストン君は、諸君に以下のような例を話して自分の説を証明した。一つのどんぶり鉢に
一定量のスープを入れて一定数の人々がすするとき、スプーン の大きさを増しても、スープの量がふえることにはならないであろう、と。彼には失礼だが、この例は私にはいささかスプーニーに〔ばかばかしく】思える。それを聞いて私は、メネニウス・アグリッパが使ったたとえ話というのを思い出した。ローマの平民がローマの貴族に反抗してストライキをしたとき、貴族のアグリッパは平民にむかってこう言った。国家の身体の手足である平民を、その腹である貴族が養っているのだ、と。アグリッパは、ある人の腹をみたしてやれば他の人の手足が養えるのだということは証明できなかった。ウェストン君のほうでは、労働者たちのすするどんぶり鉢は、国民労働の生産物全体でみたされていること、また彼らがどんぶり鉢からもっと多くのスープをすくいだせないのは、どんぶり鉢が小さいためでも、その中味が少ないためでもなくて、彼らのスプーンが小さいためにすぎないのだということを、忘れていたのである。
資本家は、どんな計略をつかって五シリングとひきかえに四シリング相当分だけを返すことができるのだろうか? 自分の売る商品の価格を引き上げることによってだ、という。ところ
で、商品の価格の高騰、いやもっと一般的にいって商品の価格の変動、つまるところ商品の価格そのものは、資本家のたんなる意志によって決まるのか? それともその反対に、この意志
を実行するには、一定の事情が必要とされるのではないのか? そうした事情の必要がないとすれば、市場価格の騰落、その不断の変動は、解くことのできない謎になってしまうであろう。
労働の生産諸力にも、資本と労働との使用量にも、生産物の価値を測る貨幣価値にも、なんの変動もおこらず、賃金率の変動だけがおこったと仮定すると、その賃金上昇は、どのようにして商品価格に影響を及ぼすことができるのであろうか? これらの商品の需要と供給とのあいだに現存する比率に影響を及ぼすことによってだけである。
まったく真実のところ、労働者階級は、全体としてみれば、自分の所得を生活必需品に費やしており、かつ費やさざるをえない。したがって賃金率の全般的上昇は、生活必需品にたいする需要の増加を、その結果生活必需品の市場価格の騰貴をひきおこすであろう。これらの生活必需品を生産している資本家たちは、彼らの商品の市場価格の騰貴によって賃金上昇のうめあわせをするであろう。だが、生活必需品を生産していないほかの資本家たちはどうか? それに諸君、彼らが少数だなどと思ってはいけない。国民生産物の三分の二が、人口の五分の一のものによって――下院の一議員の言によれば、それは最近では人口の七分の一でしかないー
消費されていることを考えてみると、国民生產物のうち、奢侈品のかたちで生産されたり、奢侈品と交換されりしなければならない部分が、どんなに莫大なものであるか、また生活必需品そのもののうちでも、奉公人や馬や猫などに浪費されなければならない量がどんなに莫大なものであるか――もっとも、このような浪費は、われわれが経験によって知るところでは、生活必需品の価格が騰貴するにつれていつもいちじるしく切りつめられるものではあるがー、
諸君にはよくおわかりだろう。
さて、生活必需品を生産していないこれら資本家たちの立場は、どんなものになるだろう
か? 賃金が全般的に上昇したために体測率が低下しても、彼らは、かの商品の価格の勝貴
によってそれをうめあわせることはできないであろう。それらの商品にたいする需要はふえてはいないだろうからである。彼らの所得はへってしまうであろう。しかもこのへった所得のなかから、まえと同量の生活必需品を手に入れるには、それが値上がりしているので、まえより多くの金を払わなければならないであろう。だが、それだけにとどまりはしないであろう。彼らの所得はへってしまったのだから、彼らは奢侈品への支出を少なくしなければならなくなり、したがって各自の商品にたいする彼ら相互の需要はへるであろう。こうした需要減少の結果、彼らの商品の価格は下がるであろう。したがって、これらの産業部門では、利潤率は、賃金率の全般的上昇に単純比例して低下するだけでなく、賃金の全般的上昇と、生活必需品の価格の騰貴と、奢侈品の価格の下落との連合作用に比例して低下するであろうら。
さまざまな産業部門でもちいられる諸資本の利潤率のこの相違は、どんな結果をもたらすであろうか? むろん、その結果は、どんな理由からにせよさまざまな生産部門で平均利潤率に
違いがおこるばあいに普通いつでもおこる結果と同じだ。資本と労働は、儲けの少ない部門から儲けの多い部門に移されるであろう。そしてこの移動の過程は、一方の産業部門では需要の増加に比例して供給がふえ、他方の産業諸部門では需要の減少に応じてそれがへってしまうまでつづくことであろう。こうした変化をとげたのか、一般利潤率はさまざまな産業部門でふたたび均等化されるであろう。すべての授乱は、もともとたんにさまざまな商品の需要供給の比率が変化したことから生じたので歩くから、原因がなくなれば結果もなくなる、価格は元の水準にと均衡に復するであろ。 16ページ2行目まで
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