第13回賃金・価格・利潤 カール・マルクス  横山雅彦訳 国民文庫=大月書店の学習

 第13回賃金・価格・利潤 カール・マルクス

 横山雅彦訳 国民文庫=大月書店の学習


36ページ



帰着させたりはするが、しかしそれは、この水準そのもの、つまり一般利潤率を決定することはけっしてできない。


諸商品の価格は賃金によって決定されると言うばあいに、われわれはなにをさしてそう言う

のか? 


賃金とは労働の価格の別名にほかならないのだから、われわれの言っていることは、

諸商品の価格は労働の価格によって規制されるということになる。


「価格」は交換価値であり―私が価値というばあいには、いつも交換価値のことである――、貨幣であふかした交換価値なのであるから、右の命題は、つまりこうなる。「諸商品の価値は労働の価値によって決定される」、または「労働の価値は価値の一般的民度である」、と。


だが、では「労働の価値」じたいはどのようにして決定されるのか?


ここでわれわれはゆきづまる。ゆきづまるというのは、もちろん、われわれが論理的に考えをすすめていこうとすればのはなしである


。だがこの説をもちだす連中は、論理的なためらいなとさっさとかたづける。たとえば、わがウェストン君をみてみよう。


はじめに彼はわれわれにこう言った。賃金が諸商品の価格を規制する。したがって賃金が上がれば価格も上がらざるをえない、と。


つぎに彼は一転してわれわれにこう説明した。賃上げをしてもむだだろう。


というのは、そのときにはもう諸商品の価格は上がってしまっているからであり、また賃金はじじつ賃金が費やされる諸商品の価格によってはかられるものだからである、と。


こうしてわれわれは、労働の価値が諸商品の価値を決定するという主張から始めて、諸商品の価値が労働の価値を決定するという主張でむすぶ。


こうしてわれわれは、もっともひどい循環論法のなかを右往左往し、なんの結論にも達しない。


要するに、一つの商品、たとえば労働、穀物その他なんらかの商品の価値を、価値の一般的

な尺度と規制者にするとしたところで、それでは困難の一時のがれをするだけであることは明らかである。


一つの価値をべつの価値で決定しても、このべつの価値そのものがまた決定を必要とするからである。


「賃金は諸商品の価格を決定する」というドグマは、これをもっとも抽象的なことばで言い

あらわせば、けっきょく「価値は価値によって決定される」ということになるのであって、この同義反復は、実際は価値のことはさっぱりわからないことをあらわしている。


この前提を認めると、経済学の一般法則についての論究はすべてたわごとにすぎなくなってしまう。


だからリカードが、一八一七年に刊行されたその著『企済学の原理はふいて』で、「賃金が価格を決定する」という古くから流布している陳腐な診論を根本的に粉砕したのは、彼の大功績であった。


この謬論は、アダム・スミスとフランスの彼の先駆者たち〔重農学派]が、彼らの研究の真

に科学的な部分でははねつけてしまっているが、それでもその研究の比較的平板で俗流的な諸章ではむしかえして述べているものである。


37ページ末


コメント

このブログの人気の投稿

高額落札コイン 昭和50年 50円玉(穴ズレ) 落札額 64万円

第15回 賃金、価格、利潤 59ページ1行目から

「日本にとって大きなチャンスは**グリーンフィールド型のFDI(海外直接投資)**にある」と強調